「どう?動きは」

「まだ何の動きもありません」



里を離れ、遥か国境の山奥にひっそりとそびえる廃墟を前にして、私達は各々に身を潜めていた。

バリケードのように鉄条網をグルグル巻きにしたこの建物で、例の裏取引が行われると情報を受け、もう何時間もこの場所を見張っている。

気配を消すためには、かなりの集中力が必要だ。そして、それを長時間維持するのは、想像以上に体力を削る。

僅かな身動きも許されず、身体中の筋肉がギシギシと悲鳴を上げていた。

もういい加減腰やお尻が痛くて敵わない。

通信機を通してでも、みんなの焦りが手に取るように分かる。どうやら焦れているのは私だけではないようだった。



「しっかし遅いな・・・」

「もう来てもいい頃なんですがね」

「しっ!来たぞ!」



こそこそと周囲を窺いながら、一人の男がやってきた。

素早く手配書の写真と見比べる。どうやらこの男が敵に内通している側近本人で間違いない。

しきりに背後を気にしてるようだが、建物の周囲に潜んでいる私達には全く気が付いていないようだった。

先程以上に気配を消し去り、視線だけで男の動きを追い続けた。



来たのはこの男一人だった。

周りに敵忍の護衛が付いているのかどうか気配を探ってみたが、全く分からなかった。

もし陰に隠れて移動しているのであれば、相手はとんでもなく優秀な忍って事になる。

「ちっ・・・」誰かの舌打ちする音が、ノイズにまみれてイヤホンに伝わってきた。



立ち止まったまま気配を消し去る事は、比較的簡単だ。

コツさえ掴めれば、アカデミー生にでも十分に出来る。

でも完璧に気配を消し去って移動する事は、神技に近かった。

普通、高速で移動すればするほど空気摩擦が生じ、周囲に風を巻き起こす。

いくら本体を隠してみても、微かに風が立ち昇って草葉が揺れてしまい、相手に自分の居所を知られてしまうのが常なのだ。

しかし、今回それが全く感じられない。

もしも潜んでいるのなら、かなりの手練・・・。

一筋縄ではいきそうにない敵に、こちらの焦りは募るばかり・・・。



それに、何よりもこの建物自体が気に食わなかった。

大体、こんな四方八方を鉄条網で囲まれた建物の、一体どこで取引を行うつもりなんだろう。

まさかこの外で行うなんて酔狂な事はしないだろうが、建物の中で行うにしても、あの男はどうやってこの鉄条網を掻い潜るつもりなのか。

どこにも、切れ目はない。

屋根まで覆い尽くさんばかりに、二重三重に有刺鉄線が張り巡らされている。

唯一解放されている屋根の部分にも、目には見えないトラップやら結界やらがご丁寧に仕掛けられているのだ。

つまり、忍の私達でもこの中に侵入するのはかなり困難を極めそうだった。



「さーて・・・、お手並み拝見ってとこだな・・・」



微かに空気を振動させただけの先生の声が、通信機越しに聞こえてくる。

いよいよだ・・・。いよいよ始まる・・・。

ジリジリジリ・・・と皮膚の表面を焼き焦がすような独特の緊張感が全身を走り抜けた。

思わず総毛立ち、小さく身震いを繰り返す。

一気に跳ね上がりそうな心臓の鼓動を何とか気合で捩じ伏せて、汗で滑りそうになるクナイを固く握り締め直した。

気配を気取られぬよう身を伏せ直し、固唾を呑んで見張っていると、男はグルグルと家の周りを注意深く歩いて廻った。

やがて、ある箇所の前で立ち止まり、手をかざしながら何やらブツブツ唱え始める。

すると目の前の有刺鉄線がもやもやと歪み出し、人が一人通れるくらいの僅かな隙間が現れた。



「なーるほどね」

「結界の一種でしょうか・・・」

「ああ、そんなもんだろうね」



印を組まないで結界術を操るなんて、この男、絶対にただの側近なんかじゃない。

嫌な予感がざわざわとしてきた。

はぁぁ・・・、やだなぁ・・・。

気が滅入ってしょうがない・・・。



男が中に入ると鉄条網の歪みは消えてなくなり、あっという間に元の頑丈なバリケードに戻ってしまった。


「行くぞ、気を抜くなよ」


シュタッ、シュタッ、シュタッ・・・

素早く辺りを窺いながら、一斉に建物に駆け寄った。

敵の襲撃に備えて暫く身構えていたが、何事も起こらない。



「いない・・・んですかねえ・・・」

「は・・・、舐められたもんだな随分」

「とにかく急ぎましょう」



男が消えた辺りに集まり、その付近を手分けして念入りに調べた。

ただ当たり前のように、頑なに私達の侵入を拒み続ける無数の鉄線。

一見、何の変哲もないただの有刺鉄線に見えるのだが、一たび手をかざしてみると、強力な術が仕掛けられているのが痛いくらいに伝わってくる。

男を真似て、先生達がいろいろな結界崩しを唱えてみるのだが、やはりと言うべきか、何も起こりはしなかった。



「ふむ・・・」

「くそっ。かなり特殊な結界ですね。そう簡単には破れそうにない」

「参ったな。これじゃ入り様がないですよ」



既に張ってある結界を打ち破るためには、それがどういった種類のものかを、まずは見極める必要がある。

でも、あんな変わった結界術など、誰一人として見た事はなかった。

私達の知っている術でないとすると、あの男、火の国出身ではなかったのか。



「かなり厄介そうな相手だな」

「どうします?強行突破しますか?」



急いで中に入らなくては獲物を取り逃がしてしまう。

物は試しにと、ライドウさんが強力な火遁を唱え、一気に鉄を焼き切ろうと試みた。

ゴォォォォ・・・と紅蓮の炎が鉄を呑み込む。

――と、その途端、モゾモゾと地中から土塊で出来た巨大な人形が無数に湧き出し、こちらに向かってきた。



「な、何だ!?」 埴輪のようにのっぺりとした土人形が、わらわらと私達に襲い掛かってくる。

咄嗟にアオバさんが津波のような水遁を繰り出し、辺りの土人形を崩しにかかったのだが、今度は泥人形となって私達を取り囲んできた。

とにかく、倒しても倒しても蘇ってくる。

拳で身体を叩き割っても、すぐさま再生を繰り返して一向に埒が明かない。

私達三人が泥人形と格闘している中、今度はカカシ先生が雷切を発動してバリケードの突破を試みた。

バチバチ・・・と蒼白い火花が辺りに散って、鉄錆びの嫌な臭いが鼻をつく。

しかし結果は同じだった。先程以上に強固な土人形がわらわらと湧き起こり、またしても私達に襲い掛かってきた。



「きりがないな、こりゃ」

「あの結界、こちらの忍術をすっかり封じてますね」

「しかし、こんな事してる隙に奴等に逃げられたりでもしたら・・・」



重たい泥を全身に浴びて、とにかく身動きが取り難い。

倒しても倒しても一向に数の減らない人形に、ほとほと嫌気が差してきた。

こんな事をしていても、ただ体力が減るばかりだ。

何とかしなければ・・・。



ヒュンッ――

クナイに起爆札を括り付け、爆風で鉄条網を吹き飛ばせるかどうか試してみた。

ドォォーーン!という轟音と共に、ガラガラガラ・・・と近くの土人形が崩壊する。

しかし肝心の鉄条網は僅かに歪みはしたものの、とても人が通れる隙間は開いていなかった。

そして、またわらわらと人形が増殖し始める。

駄目だ。これじゃ本当に埒が明かない・・・。



「カカシ先生!」

「なんだ!?」

「とにかく、中には入れればいいんですよね?」

「ああ、そうだ!」



そそくさと鉄条網に近付いた。そして再度いろいろな箇所を触れて廻る。

確かに強固な結界が張り巡らされている。これではどんな術をも跳ね返すに違いない。

しかし、プロテクトしているのはどうやら忍術に対してであって、物理的な刺激には反応しなかった。

これなら・・・と確信した。



三人がチラチラと背中越しに見守る中、すうっと大きく息を吸い込んで全身のチャクラを両手に掻き集めた。

精神をギリギリまで集中して、指先を静かに鉄条網の隙間に引っ掛ける。

これは、柔らかい・・・。グニャグニャに柔らかい・・・。

柔らかい、柔らかい、柔らかい・・・。

柔らかい・・・!!


カッと目を見開き、一気に左右に押し開く。



「はぁぁぁーーーっ!!」



メリメリメリ・・・と、新たな入り口が誕生した。

それと同時に、無数の土人形はただの土塊に返っていった。





「ヒュ〜〜!」 軽快な口笛が聞こえる。

ハァハァと肩で息をしながら音のした方へ振り返ってみると、「おー、サクラ偉い偉い!」とカカシ先生が拍手していた。

嬉しくなって、思わずニコッと微笑みながら、アオバさんとライドウさんの方にも向き直る。


・・・・・・二人とも思いっ切り腰が引けていた。



「ひ、引き千切ったぁ・・・?」

「えっ、これじゃいけなかったですか?」

「いやいやっ!そんな事はない・・・。そんな事はないけどさ・・・」

「カカシさんが君を入れたがってた訳がようやく分かったよ・・・」



あれ・・・。

なんか、変だったですか・・・?



尋常ではない二人の顔面蒼白ぶりに、慌てて先生の方へ向き直る。

でも、カカシ先生はニコニコと満足そうに笑っていた。



「なー、サクラ連れてきて正解だったろー?」



頭をグリグリと撫でられて、つい「えへへー」と笑ってしまった。

誰に褒められるよりも、カカシ先生に褒められるのが一番嬉しい。

よっしゃぁぁーー!

じわじわと嬉しさが込み上げてきて、心の中で盛大にガッツポーズを決めた。



「せっかくサクラが入り口作ってくれたんだ。行くぞ」



穴をくぐり、先生が先を急ぐ。

慌てて私達も先生の後を追った。

追い抜かしざまに、ライドウさんとアオバさんが私の肩を叩き、ニヤッと親指を立ててみせた。

二人に感じていた垣根がほんの少し低くなる。

思わず満面の笑みを返し、私も二人に遅れないよう建物の入り口へと急いだ。